バカ話を書きたれ流している韓国シリーズも、はや7回目となりました。しかし、今回はちょっと真面目なお話。私もバカばっかり言ってるワケではないのですよ。うぉっほん。


第8回 〜はじめての韓国・その7 韓国と日本の壁の巻〜

                       


●戦後の偏った教育の弊害


 韓国へ旅立つ前、何人かの友人に「反日感情のある国やから、慎重に」と言われていた。そのことはもちろん十分承知である。しかし、正直言って戦争が起こったときに私は生まれていない。戦後の教育で事後報告的な教育を受けただけだ。しかも、その歴史の授業というのは、ひどく日本的な視点での教育だった。平等な視点での見解、そして日本の否を問いただすような教育は、残念ながら学生時代には受けていない。“学校の授業では教わらなかった事実”は、すべて後になってから知ったものだ。戦後50年、日本は未だにこんな教育を続けているのだから、韓国と日本の間の溝が埋まらないのも当然のような気がする。


●韓国のヤンエグにナンパされる



 そんな思いを常に抱いてソウルを闊歩していたかと問われれば、そうでもなかった。ただ、欲望の赴くまま、安物買いを満喫し、屋台から屋台を飛び歩いていた。そんなとき、東大門市場の屋台でラーメンをすすっていると、一人の男性に声をかけられた。
「うまいでしょ」
少し日本語ができる韓国人なら「おいしいでしょ」と聞いてくるはず。だから、この男性は日本人だと思い「日本人ですか?」と尋ねると、彼は韓国人だと答えた。
「日本語が上手すぎますよねぇ。普通は“おいしいでしょ”と聞いてきますよ」
「いや、しばらく日本に留学していたから」とクセのない日本語で答えたのだった。その後、彼と真露を酌み交わしながら、留学時代の話などを聞いていた。大学名こそ教えてくれなかったが、東京6大学に通っていたという。
 日本的な笑いもしっかり身につけており、彼のギャグに私達が笑えば「座布団3枚」と古典的な笑点ギャグまで心得ていたのだから恐れ入る。彼は現在、稼業の高麗人参屋を継ぎ、東大門スタジアムのそばでスポーツ店も経営しているという。日本でいうところのヤンエグだが、この日彼のいでたちはナイキのジャージであった。
「韓国のヤンエグはジャージで商談するんやで」
Tさんは嬉しそうにそう言っていたが、んなことあるかいな〜(@大木こだま)

●大寒は大寒


「しかし、寒いですね〜。いつもこんなに寒いんですか?」
私の問いに彼はしれ〜と「今日、韓国では旧暦で大寒だから」と答えた。
「ということは、日本も大寒ですよね?」
「そう、中国も大寒」
あまりにも当たり前な会話に一同大爆笑となってしまった。
どこにいようが、大寒は大寒。南半球に位置する常夏のブラジルやオーストラリアだって旧暦のこの日は「大寒」なのだ。まあ、常夏のオーストラリア辺りで旧暦なんてのが存在するかどうかは知らないけれど…。


●韓国と日本の「これから・・・」


「日本にいた時ってバイトとかしてたんですか?」
「してたよ。とにかく一通りした。皿洗いから工事現場まで。」
そういえば、日本に留学する韓国人というのは、家がかなり裕福だと聞いたことがある。彼は韓国で大学を出た後、日本に留学しているので韓国での暮らしはかなり上のランクだったのだろう。しかし、日本ではえらくビンボーな生活だったという。ビンボーが楽しくて仕方ない人なんていないと思う。が、大学時代のビンボー話は過ぎてしまえば「楽しかったよな」に変わっていたりするものだ。その辺の話を聞きたくて、何のためらいもなく、私は「楽しかった?」と聞いた。
「う〜ん、大変だった。」
「何が?」
「生活が…。物価が高いというのもあるし…。それに、う〜ん、あ、でも…。これは君たちに言っても仕方ないし…。」
彼が最後に言い淀んだ言葉のアウトラインは察することができる。
日本では韓国人というだけで未だに不当な差別を受けてしまう。恐らく彼もこのことで理不尽な差別を受け屈辱を味わったのだろう。
「あ…」私は言葉を失ってしまった。
それを察するかのように、彼は「でも…。」と言葉を続けた。
「昔のこととか、僕らの世代には薄れてきてるし、日本に対する意識も変わってきている。いつまでも昔のまんまじゃダメってことも…。だから、これから変わっていくと思うけど…。」
「私もサッカーのW杯の共同開催がきっかになって、今までの日韓関係がちょっとでも変わってくれたらいいのにって思ってる…。」
「いや、変わると思うよ。絶対…。」
前を見据えてきっぱりと言い切ってくれたことがすごく嬉しかった。たかが、3日。しかも単なる観光旅行なのに、私はすっかり韓国が好きになっていた。だから、彼にもかつて彼が過ごした日本を好きでいて欲しかった。ためらいなく好きでいて欲しかった。こんな至極当たり前の素朴な思いすら、両国の間ではすんなり通らない。このことがもどかしくてならない。

●韓国と日本の「これから・・・」


 私は今回の旅行に当たって、ハングルを勉強した。と言ってもNHKのハングル語講座を聞いてたぐらいのことで、実際旅行で使えたものはしれている。それでも、例えば「ありがとう」や道を尋ねるときの「すいません」は、現地の言葉でと思っていた。逆の立場に立ったとき、つたない日本語を一生懸命話外国人に出会ったら、やはりなんとかしてあげたいと思うからだ。
「韓国は結構日本語が通じるから、いざって時でも大丈夫でしょ」
渡韓前にいろんな人からこう言われたのだが、彼らに日本語を話させることはできるだけ避けたかった。以前、柳美里がルーツをたどって韓国を尋ねる番組を見たのだが、そのときに一人の老人は
「日本人のテレビスタッフにはハングルで話すが、あなたは(柳美里)は同胞なのに日本語しか話せないから仕方なく日本語で話す」
と言っていた。そして、
「私達同胞はいつになったらハングルで話しができるのか」と切実に訴えていたのである。このとき、柳美里は彼らに日本語を話させることがいかに屈辱的なことかを改めて痛感し、泣き伏せていたのだった。このシーンが私はアタマにこびりついて離れない。私は日本人だからハングルで会話ができなくても、彼らを悲しませることは何ひとつない。しかし、かつて強制的にハングルを取り上げ強要した“日本語”は、彼らにとってはやはり屈辱として残っている訳で、そんな吐きそうな嫌悪感を与えるようなことはやはりしたくなかったのだ。
 郷に入れば郷に従え。一夜漬けで覚えたハングルが何の役に立つのかと思う。けれども、それでも韓国に甘えたくなかった。これ以上韓国に甘えていたら、きっと今までと何も変わらない。私一人がハングルを覚えたところで、戦後50年以上続いてきた複雑な日韓関係が改善するなんてことはない。けれど、“知る”ことから始めないと何の解決にもならない。たとえそれが無力な叫びであっても、言わずにはいられない。



(つづく)


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